日本のスポーツジムが若かったころ~山口和貴

会員の半分が60代以上とされるスポーツジム。1990年代までは30代以下が中心でした。若かった頃のスポクラを振り返ります(山口和貴)

バブル時代のインストラクターブーム~山口和貴

客の目標に沿う健康づくり


第2次ブームを迎えているスポーツジム(フィットネスクラブ、スポクラ)。そこで働くインストラクターと呼ばれるスポーツ指導員は、今や引っ張りだこ。とくに女性客が増えて、女性用ロッカーが足りなくて困るほどの繁栄ぶりの中で、やさしく、厳しい指導をする女性インストラクターは、女性の人気職業の1つにまでなってきた。


東京・六本木のアークヒルズ。住宅棟の中に1986年夏、資生堂が開設した「ホロニックスタジアム・ARK」では、インストラクターは16人中13人が女性。チーフの石塚さんがキビキビした口調でこう語る。


「仕事の第1は、お客さまの目標を伺うこと。スタミナづくり、減量、シェイプアップ、あるいは腰痛を治したいとか、思い切り汗をかきたいとか……。体力テストをして、プログラムを作り、やっと指導に入るわけです。ゴルフやテニス、スキーのためのトレーニングが目的という方も多い」


「ホロニックスタジアム・ARK」地下1階のアスレチックジムには、自転車こぎや腹筋台、バーベルなど12機種の運動具が並ぶ。木の床のスタジオは、エアロビクスやストレッチ体操に使う。20メートルのプール、サウナ、指圧室、そして全身美容室……。


会員制で入会金と保証金が計160万円。東京の最先端という土地柄をいかにも反映して、高価で、いたれりつくせりの設備。会員は芸能人や音楽家、ニュースキャスターらも来て1500人。


石塚さんは、スポーツが大好きで、インストラクターになったが、指導だけでなく健康づくりのアドバイザーを目ざす。保健婦や栄養士との連係プレーが成功した時が一番うれしい。減量がうまくいった客の報告が楽しみという。仕事のあい間に自分の技を磨く。


石塚さんはボディービルに夢中だし、関さんはエアロビクス派。器械体操が得意な遠藤さんは、ここで体操教室も担当している。


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スポーツクラブの第1次ブームは1971年ごろ。草分けの1つ、新宿の「ドゥ・スポーツプラザ」の副支配人・吉野正一さんは、創業当時は水泳指導員だった。いまも新入社員には、「3CMSをモットーに」といいきかせる。


「全部カタカナですみません」と前置きして、「3Cはコーチ、コンパニオン、コンサルタント。Mはマネジメント。Sはサービス」と吉野さん。ここでは法人会員が1000社に増えたのも大きな変化。体力づくりだけでなくハイテク化される職場に疲れてストレス解消型の客が目立つそうだ。


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健康産業はもうかると、この数年は異業種からの参入組が増え、第2次ブームになった。ホテル、不動産、生保、流通、ガス会社からビール、自動車メーカーまで。中には工場の跡地や遊休地利用組までざっと1000を数えるといわれる。庶民的な値段の施設も多い。当然ながらインストラクターも人材不足。行政も講習会を開いたり、目安の1つになる資格制度づくりに乗り出した。


厚生省(現・厚生労働省)は1988年3月に「健康運動指導士」の資格認定制度をつくった。外郭団体による第1回講習会を終え、受講した122人が3月19日には認定試験を受ける。「講義は144時間。安全で効果的なスポーツ指導をするために、運動生理学から医学、栄養学まで広範囲です」と担当の厚生労働省健康増進栄養課。


一方、文部省(現・文部科学省)も「スポーツプログラマー」という名称の資格制度発足を検討中、というからややこしい。


山口和貴


参考:http://www.xclubfitness.com/